共感はカス 2025/8/23
SNS、やってますか?
まあこの世、中高大生でSNSやってない人間の方が少数派なのは明々白々ですし、
もっと上の世代についても多分そうだと思います。
SNSにおける重要なワードの一つとして、「共感」があると思います。
人が人に同調、共感することをブーストする機能が全てのSNSに搭載されていることは論をまたないとこでしょう。
でもその同調、共感、醜くないですか?私は美しないと感じます。
承認欲求とマネタイズにまみれた共感はSNSに後押しされ、SNSに利用されている。
嫌儲というわけではないですが、感情を他人の儲けに使われるってことが気に入らない。
感情を他人の欲求のために使われるってのが気に入らない。
よくよく考えるとこれは少し嫌儲が入ってる気がします。アフィ禁止的な。
まあとにかく!気に入らない訳です。俺を利用する他人が!企業が!気に入らなくてたまらない!
同じ理由でソシャゲも避けているんですけどそれはまた今度。
ともかく、SNSの共感はカスなんですよ。
じゃあリアルの共感はカスでないのか?
それも少し疑問があります。
リアルの共感には本当に共感していないものも含まれていると思うんです。
それは例えば、本当はそうでないと思っていないのにもかかわらず「分かるわ~」と言うあの瞬間。
その場ではついそういってしまったとしても、気に入らない。
なんで合わせなくていいところで他人に合わせなくちゃいけないんですか?
これは友人関係が狭く浅い自分のポジショントークと思ってもらって結構ですが、
相互承認の関係ってのはカスです。
自分を認めるのは自分だけで充分です。
だからSNSではなくこの、私が私を認めて存在している、個人ブログといった形態で書き散らしているわけです。
自分を認めるのは自分だけで構わない、この文章だって未来の自分が今の自分の考えを知れるように書いています。
そうするならば、そのついでに全世界に公開しようと公開しているわけです。
なんかTwitterで私の最も嫌うようなツイートを見て書き散らしました。
夏休みももう終盤です。
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