祖父の話 2025/8/20

こんにちは。
今日は祖父の話をしようと思いましたが、結局自分の話をします。
私には祖父が二人居ます。そりゃ誰だって父方と母方の祖父は絶対に存在するわけですけど。
先日、といっても今年の三月なので四十九日も終わったのですが、父方の祖父が無くなりました。
ここからは一旦祖父、と書いたときは父方の祖父だと思ってください。
祖父は無くなる前に、施設に入っていました。高級老人ホーム、みたいなところです。
元は企業の社宅だったところを改装したらしく、一人用にしちゃ狭いな、と思ったことを覚えています。
祖父がその施設に入ってから息を引き取るまで、恐らく二か月ほどあったと思います。もっと長いかも。
その期間の中で、私は一度しかその施設に行きませんでした。正直に言えば、面倒だったのです。
自宅、学校、施設まではほぼ一直線であり、学校に行ったあとに施設に行くことは容易でした。
学校が終わった後に少し足を伸ばせば行ける距離です。
もっと正直に言えば、祖父と会う事が怖ろしかったのです。
その施設に行った時、祖父からは死の気配がしていました。
癌に体を侵され、入院し、ケアを受けた後、もう良くなることはないからと施設に移ったそうです。
歩くことが出来ないので、足はむくみ、筋肉は落ち、笑う姿も力なく見えました。
恐ろしかったのです。元気の無い老人に会うのは初めてでした。外で会う老人は皆元気に決まっています。
祖父のその姿を見たくなかったというより、死が間近にある老人を見たくなかったのです。
私の記憶力は酷く、三年前の出来事ならほとんど全てのことがうすぼんやりとしています。
祖父は、一般的な祖父らしく私を連れて遊びに行くことも多かったことが写真から窺いしれますが、
その殆どを私はうっすらとした、おぼろげで、自信の無い記憶でしかもっていないのです。
私は誰に対してもそうです。中高一貫の六年のうち、四年が経過し、今は五年目です。
もう中一の頃の行事のことを覚えていません。行事で共に行動した人の名前すら覚えていません。
そうなってくると私にとってその人は他人なのです。もしくはただのクラスメート。
私は祖父に対してもそうなっていたのです。痩せ細った祖父を他人のように思っていたのです。
祖父が亡くなったという知らせを受けた日のことはよく覚えています。
その日は大学のサークルの合宿か何かで家に居ない兄を除く三人でスキーに行こうとしていました。
車を使い、関東から長野まで、夜に出発し、朝に就く、そういう行程です。
車を出し、バーミヤンで晩飯を食べ、また車に乗り、一途長野への道。
その途中で車を運転する父に電話が掛かってきました。
その相手が祖母だと分かったとき、私はああ、祖父が亡くなったのだろうな、と確信めいた直感がありました。
まあ直感というか、祖母が夜に父に電話を掛ける用事など、それしかありません。
多分父母もそう思っていたんじゃないかと思います。
そして、その通りに、祖父が亡くなったと知らされ、その日は父のみが施設へ行きました。
その週に、私は施設へ行こうかと考えていたのです。
そして面倒だから、怖いから、祖父の体調は低空飛行を保っていると父が言っていたから、と行かなかったのです。
正直、あまり悲しくはありませんでした。というより、現実感が薄かったのだと思います。
親族が無くなるということ事態初めてで、祖父には一か月ほど会っていなかったからです。
その三日ほど後にお葬式がありました。大きな駅の近くにある小さな斎場で、横たわる祖父はしかしそれでも大きく見えました。
チェックのシャツにズボンという見慣れた祖父は、上手いこと死に化粧がされているのか、血色良く、
それこそ、今にも起き上がりそうに見えました。
その後は良く分からん(ほんとうに分からなかった)坊主の説教と読経を聞き、焼香を上げました。良くある葬式です。
最後に、出棺前に、祖父の入った棺の中に華を入れる段階になって、ようやく私の眼から涙が出て来ました。
華に全身を囲まれた祖父の姿は非現実的で、それはそのまま私に祖父は私にとって非現実的な、死者になってしまったのだと感じさせました。
凄く、色々なことを後悔しています。ありきたりだけれども、もっと話しておけばよかった、とか。
祖父っていうのは自分から見て変な関係性です。この世に二人しか居ません。
少し離れた所に住んでいて、会う度に、小遣いを気前よく、ウン万かくれます。
幼い頃はたまに共に遠くまで遊びに行きます。
敬語を使うには少し近いような気がして、しかしタメ口には大分遠いです。
どう接すればいいのか分かりません。私には子も居ないし、当然孫も居ない。
この文章を書いているのは、部屋の整理をしていたら母方の祖父からの手紙が出てきたからです。
母は実家と絶縁状態にあり、桃の季節に果物を送ってくるくらいしか、交流は知りません。
その祖父から届いた、半紙に万年筆で書かれたであろう手紙には、月刊はつめいなる紙に、
私の通う高校の生徒が作った発明が掲載されていると書いてありました。
だからなんですか、と言いたくなるようなきっかけです。祖父はそれを機として手紙を送ってきたわけです。
母方の祖父と最後に会ったのはもう何年も前です。顔も、声も、背丈も、名前も思い出せない。
ああ、もっと関わるべきではないのか、そう思いました。
言ってしまえば自分以外は全て他人、しかしその他人の中でも縁が強いのが祖父です。
母方の祖父も大分高齢のはずで、当然の摂理として亡くなるのはそう何十年も先ではないはずです。
えもいわれぬ物悲しい気持ちになります。

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